◆ VOICE ◆


今・そしてこれから  by tomo 2006/11/01

歳がばれちゃうけどw  人生の半分をバイクに乗っている計算になった。

初めは原付。乗り始めてすぐギア付きに乗りたくなった。

それから250−400と乗り継いで、今に至る。

今年は転職したり何だかんだであまり乗れてないけど、

これからも体力・時間の許す限り乗り続けていきたいと思う。



私がバイクのオモシロさを感じてきた頃はもう既に日本にもMCやバイカー・1%er

なんて言葉も普通に耳にしていたけど、昔の雑誌なんか見てると日本では

そんなに歴史のある言葉でもないんだってことをハーレーに乗り始めてから知った。

バイクに対する思い、クラブに対する思い

メンバーに対する思いは
人それぞれ違うと思う。

MCや1%erって聞くと たいてい「アウトロー」を思い浮かべるんだろうけど、私は少し違う。



以前 雑誌スタージスラリーの原点ともいうMCの記事を読んだ。

バイク好きな仲間が集まってツーリングはもちろん一緒にランチしたりレースしたり。

古くはジプシーズのようなクリーンなチームが多くを占めていたって話し。

アットホームな雰囲気で100%ウエルカム☆



私の背負っているベスト1%er MCへの思いは、世のイメージのアウトローでない。

私に会った事のある人は 分かると思うが 私はアウトローには見えない。

ジプシーズのような気持ちを持って、バイクを通じて出遭った人たちと、

これからもずっと人として関わりあい切磋琢磨していきたい っていう楽しみ方を求める一個人。

99%のアウトローな人(1%er)と違う人・・・残りの1%er! の考え



AC創設以来 関わって来た方々の思いはそれぞれ違うので誤解はしないで欲しい。

あくまでも私個人の思い(考え)である。


一昨年くらいからメンバーの中で健康上の都合でバイクを降りざる負えなくなった方々が

数名 出てきた。バイクを降りた今でもバイクの話やクラブの話、私生活上でも 

よき相談者である。これからも諸先輩方の教えの下に 私なりに楽しみたいと思う。



☆バイクの楽しさ クラブの大切さを教えてくれた 今まで縁してきた全ての人に感謝☆

これからも可能な限り 走りつづけるので宜しくお願いします!


ASPHALT COWBOY  tomo



無常 By tomo 2005/07/04


時間軸に起こった事象はただ1つなのに、人それぞれ捉え方によって様々な思いになる。

起こった事柄を、善・悪・損・得・不幸・幸せetc…まさに十人十色。

+1=2にようにその事象を簡単に解釈できるものはない。


起こった事象1つのことに対し、時が経つにつれ 人は思いに様々な変化が起こる。

今が大変なら、それはチャンス!大きく変わる事!

そう捉えて何事にも前向きに進んでいきたい。

言うのは、かんたん。実際 行動するのは大変。

そう、大変な分 大きく変わる事を信じ、自分の思いを貫いていきたい。

自己主張しすぎず、それでも周りに流される事無く。

常住せず、世の中 常に生滅流転して、永遠不変のものはないということを念頭において。


ASPHALT COWBOY  tomo




VEST By tomo 2005/02/12


VESTが有ろうと無かろうと、MCをクラブ組織として発展させるには
 各々が自覚を持って活動しなくては何年経ってもMCの真似事に過ぎないと思う。

そう思っていた。


あれから1年…

所詮バイクに乗っているのは、私自身であり、

楽しい一日も憂鬱な一日も、自分の心の在り方で変わるものなのだ、

と改めて認識した一年だった。

同じ空間に居るはずの人たち みんな心の在り方によって写る景色、

感じる思いは 人それぞれ 全く違うのだと。


目に見える形で残したいと思ったベスト、一年経った今、

ベストとか関係無しに 一緒に楽しんでくれる人がいる事が嬉しい。

と同時に、ベストだけ欲しがっている人や持っているだけで満足な人がいる事が悲しい。

この1年私は何が出来ただろう、そしてこれから私には何が出来るだろう…

いろいろ考えた、時間だけが闇雲に過ぎた…

で、思った結論は単純。自分が楽しまなきゃ何も始まらない。

そうだ、今年は去年以上に沢山走ろう、磨こう 楽しもう。

本年も宜しくお願いします。

H17.2.12

ASPHALT COWBOY  tomo




私はバイクが大好き!  Showchan  2004/03/20


20才代前半、当時カミナリ族と言われた時代に事故で重傷。以来バイクから遠ざかっていたが、

Harey-Davidsonに乗ることが生涯の夢だった私はそれから30有余年、晩年になってからのオーナーである。

 最初からFLHTCUウルトラ・クラシックを望んだが、初心者は無理だと諭され止むを得ず93年型FLSTCをカウルetcでカスタムして跨った。

 しかしながら、2年程は乗って見たもののウルトラの夢は捨てきれず、仕方なく95年型仕様にサイドカーを付けて乗り出したわけである。

 ところが4〜5年経っても仲間は愚かツーリングの誘いも無い。ディーラーに足を運んでいるうちに、

ふと眼に付いたのが2000年型FLHR、すぐに虜になってしまった。


  乗り出しはチャプター・ツーリングで、早速何人かの仲間が出来たのには驚きと満足であった。

立ち転けを恐れウルトラをソロで乗るには今だに自信がなく現在2台を交互に転がしている。 

その後は縁あって下館チャプターに所属、asphalt-cowboyのメンバーとしても月何回かのツーリングで多くの仲間達と気楽な走りをエンジョイしている。 



  ☆老化防止はHarey-Davidson☆ この歳でハム免許を取得、PCで頭を軟らげながら若いバイカー仲間と交流を深めているのも私の生き甲斐である。

 マシンやウエアには多少拘りカスタムする事も私の趣味のひとつであるが、特にバイカーとしての信条やこだわりは持たず昔仲間もいない。 

今はハーレーを乗り出してから知り合った気安い仲間が約50人。 

他人の話には耳を傾け、突き詰めた堅い考えは胸に仕舞って、仲間同士で楽しく走り、楽しい友好関係を築いて行ければ良いと思っている。

お互いの絆は時間をかけて自然に深まるものである。 



  昨年暮れにはマイレージ30,000mileを達成した。

72才の超シニア・バイカーだけに余り無理は出来ないが、仲間の足手纏にだけはなりたく無いのが今の心境、

体力が何処まで続くかがこれからの勝負である。 

皆さんこれからも宜しくお願いします。…by 荘ちゃん




◆ 〜 出会い、別れ、そして今 〜 ◆  KING 2004/03/01

想い起こせば、18年前、何時もの様に仕事を終え、スタンドバーの片隅でー人、飲んでいると、

(60年代じゃ〜あるめ〜に)リューゼントに、ツッパリ眼鏡のサングラス排気音を轟かせ、やって来た奴。

この男(元○○族の頭をやって、かなり暴れ回っていたらしい)石○○この男との出会いが、眠っていもんに火を点けた。

会う度にバイク談議に花が咲き、店のマスターのバイク好きもあって マスターの紹介でHONDA750、YAMAHAビラーゴ1100と乗り継いで、

柏のBIKUショップ○○のショールームで数台のピッカピカのカスタムHARLEYに魅せられて、

1週間通いつめゲツト、念願の鉄馬fxstc初代も半年で事故り・・つぶし

2代目はfxsts、ホワイトにエァーブラシ、ハイカム、ミクニ42キヤブ、ドラックスタイルでメーター振り切り、かっ飛んでいた。

その頃、今は亡き飯田君(レーサーと呼ばれていた男)との出会う

彼は、他のクラブで走っていたが、彼と出会った時は、もう馬鹿が4人でチームを組む
(1般道レースじゃあ〜あるめ〜に!中年暴走族と呼ばれ走りに誘っても2度目は何故か来なかった)

彼は何処か他の奴とは、違っていた。

何故か気が合い、リッターマシンに乗りながら、ハーレーのグローブ、コンチョの付いたウォレットをお揃いでウェスタンブーツまで・・・

そして御大との出会い、やっとハレーの仲間出来たと思ったら,一緒に一度も走らぬうちに

御大は、リッターマシンに乗り換えて、若い者達の先頭を走っていた。
(共に走り語り合い、バイクに対する熱い思い知る程に、−時は、理想クラブを夢に奔走した)


3代目4代目の鉄馬と乗り換えた。

そんな時、風の噂で御大が、ファットボーイに、乗ってるらしいと知り、何度か店を訪ねたが、なかなか会えなかった。
(御大は海外に会社を設立、仕事に専念))

そんな折、ドドォド〜ォ特有の排気音あの飯田がブラックハーレで俺の前に、とつぜん現れた。

是をきっかけに2度目の御大との出会い、思えば、これが飯田君が御大との堅い絆を結ばせてくれたもの。

チャプター活動に、力を貸してくれと言われ、二つ返事で引き受けて、今のACを立ち上げるきっかけと成る!

多くの仲間との出会い、そして別れ・・・
(10人寄れば10色、独りひとりの生き方も感性も、違う者どうし、纏めて行くは至難の技)

他から、どんな風が吹こうが吹くまいが〜

鉄馬並べて何処吹く風よ

素晴らしき仲間達

[君の名はバイク乗りASPHALT COWBOY」

By KING





◆ 〜 YOSHIの想う事 〜 ◆

一昨年のDORAGON WAVE MTGにて、一人のバイカーに出会う。

もともと他の友人と出会い、これからのハーレーライフを楽しもうと思っていた矢先のことであった。

そのバイカーは、パールホワイトのファットボーイに跨り、口にはタバコをくわえ、髪を一本に束ね、

そしてヒゲをはやし、雑誌の世界でしか見たことのないような強面の人であった。

さらに、その横を見れば、男に負けんばかりの出で立ちで、強面のバイカー同様パールホワイトの

ファットボーイに跨っており、臆する事なく凛とした姿は、ただ驚くばかりであった。

そう、それがASPHALT COWBOYの代表「御大」と「TOMOさん」との出会いであった。


その時点で今後の人生に大きな影響を及ぼす二人とは思いもよらず、

むしろ、このような方たちとは交流することは絶対にないであろうと考えていたほどであった。

一応、挨拶はしてみたものの怖いものみたさてきなものはあった。返ってきた言葉は予想通りの言葉。


挨拶以前の問題で、思いもよらぬ質問を投げかけられた。あ〜、やっぱり〜、いきなり何だ〜!?

見事にはまったわずかな会話でひとり笑っていた。

しかし、その質問に御大の洞察力に驚かされていた事も事実であった。

自分の中でMTGよりも、ひとりのバイカーの印象を強く残した時間であった。


それから数ヶ月、MCメンバーの方々が自分の経営するショップに遊びにきてくれるようになり、

何度となく交流の場をもたせてもらった。

今まで、ひとりでバイクに乗り、ひとりで楽しんできた自分にとって

その ASPHALT COWBOY はいつしか新鮮にみえ、興味をもたせてくれた。

もちろん、代表である御大の存在は大きく、直接話させてもらう度に「MCへの熱い心」「バイクへの純粋な心」、

それを語る時の子供のような笑顔、第一印象とは天と地のほどの印象を再度うける。

わかればわかるほど自分の中に熱い心がこみ上げてくることを実感する。


自分は、恥ずかしながら今まで「人を信用すること」を忘れていたと言っても過言ではない。

仕事上において役職をもらい、いろいろな人と出会う中で「騙され、裏切られ、金をとられ」というような経験をしてきた。

責任は自分にあると納得させながらも、いつしか「頼るのは自分のみ」と冷ややかな心で対応してきたと思う。

それが、インターネット上での友人をきっかけに少しずつ「これではいけない」と

思いはじめていたのかもしれない。人として・・・・・・・・・・・。


多くの友人に出会い、教えられ、その中でASPALT COWBOYへの入会を自ら選び、

現在は、足りないながらも「本部長」としての役を拝命している。

まだまだ何もわからない自分であるが、一年一年わずかながらでも成長したいと思っている。

このMCを選び、その環境で勉強していくこと、向上していくことに後悔などない。

人はそれぞれに個性があり、価値観がある。

100人いれば100通りの遊び、人生観、楽しみ方、付き合い方があるはず。

どれをとっても絶対的に間違いやNOと言い切ることはできないはずである。

しかし、悲しいことは自分の価値観を基準として相手を否定することである。

同じハーレーというすばらしいバイクを走らせるもの同士なのに・・・・・・・・。

 お互いが認めあえれば何かが生まれるのに・・・・・・、さらに何かができるのに・・・・・・・。

否定する事から始まれば、生まれるのは増悪のみだと思う。

広いようで狭いこの世界、そんな話を耳にすることがないようにしたいものだと思う。


だから、自分という人間を磨き、成長させてくれるであろうこの場所(AC)を選んだ。


自分はACの歴史を正確にわからない。だから憶測で言葉はだせない。

しかし、はっきりしていることは、先輩方の数々の「本気」があって、今があるということ。

それについて先輩方に感謝しなければならない。

そして、自分は今、その過去を余計な詮索するより今後のMCについて考え、取り組むことが大事であると思う。

現在も進化しつつ、古き良き時代の心をもったMC、そして、そのMCの会長・御大の人柄に集まる仲間に敬意を表しながら、

次世代につなげて行く役割を自覚して歴史の一ページに刻みたいと思っている。


あくまでも、個人的価値観であり、考え方の一つであるので人に意見を強要するつもりはない。

さまざまな情報が多々流れる中で、注意することは、自分の目で判断していくことだと思う。

本質を忘れ偏った情報に惑わされれば失うことが多く、

そんなことがバイクの世界であってほしくないと純粋に思うだけである。


だから、御大の心、理念に賛同し、仲間と分かち合い、切磋琢磨したいだけ・・・・・・・


By  Yoshi



◆ 出会い、そして別れ ◆JACK  2004/02/23   
昨年の二月、私の父親が脳梗塞で倒れ入院騒ぎ、そんな時、病に伏せっていた長年の友から

『クシダさんとバイクで走ってたころが夢のようです。ありがとうございました。』と一通のメールが届いた。

今になって思えば、まるでそのメールは遺書のような内容だった。


 彼とは私が通っているバイク屋さんで1996年の夏に出会い一緒に走るようになり

彼の所属していた地元の疾風と言う名のクラブで私はゲストとして参加することになる。

集合場所に行って見ると、会長は仕事の都合で参加出来ないというのに見送りに来てくれているのです。

そして彼に聞いて見ると 『アキタ会長は、自分は参加することが出来なくても、あたりまえのように

朝のミーティングだけでも見送りにだけでも来る人だ』

『そして皆がツーリングから帰って来ると必ず打ち上げにも顔を出す人だ』 と語ってくれました。

そして会長が私に 『今日は参加できなくて申し訳ない!私もハーレーが好きでハーレーに乗っているクシダさんが

来るというのを聞いて一緒に走るのを楽しみにしていたのですが残念です!また次回も来て下さい』 と言うのです。

その時、『この人と走りたい』 と思ったのです。

 その疾風の会長を務めていたのが現在のKINGこと我らのアキタ相談役であります。

 後で聞いた話であるが彼は当初、街ののバイク屋さんのクラブで走っていたが

アキタさんのクラブの走りや、会長の面倒見の良さ、人格に惚れ、いつも一緒に走るようになったそうです。


 それから月に一度の疾風のツーリングだけでなく、毎日でもバイクに乗りたい走りたい私達は毎週のように一緒に走るようになったのですが、

何故か私とアキタさんは直接連絡を取り合うことが無く、いつも彼が私と走る時にはアキタさんを誘い、彼がアキタさんと走る時には私を誘う

不思議なパイプ役が数年続いたのです。

そのような中、時々、彼は居なくなりました。まったく連絡が取れなくなるのです。

心配になりアキタさんに聞いてみたら「彼は病を持っていて時々、入院してるんだよ」「ハイになりすぎちゃう病気だよ」

「それでも体の調子の良い時はバイクが好きで乗っているんだよ」と言う事でした。


しばらくして私の店にも頻繁に遊びに来るようになり、彼の方から自分の病のことを話し、相談してくるようになりました。

精神の病を恥ずかしいと思い隠していた彼が病に対して前向きに良い方向に変わってきたのです。

 何度か話を聞いていると病の原因というか、きっかけが分かりました。

仕事にも恵まれ、そして愛していた女性と結婚した矢先の彼女の裏切り行為による離婚でした。

まだ未練があるのにもかかわらず、彼女の幸せだけを考えて、

不倫相手に『宜しく頼みます』と文句一つ言わず身を引いたのです。

それから彼は寝ることも惜しむように仕事に専念したのだが

昼間はハイになるのを薬で抑えて夜は夜で強い睡眠薬を飲まないと眠れない彼になってしまったようです。

 バイクに乗っている時の自分のカッコイイところだけを見せるのでは無く

『早く良くなり仕事もして恋愛もして社会復帰をしたい』と言うようになったので

バイク以外の私生活のことなども、お互いにアドバイスをしたり励ましあう関係になりました。


 その頃、彼はGSXR1100に乗り、私も最速の国産リッターマシーンに乗り継いでいたが

体感的スピードが早く、合法的なスピードでも楽しめるように現在所有のファットボーイに乗り換え

彼にも、体調に良く、ゆっくり走っても心地よいハーレーを勧めました。

でも、なかなか頑固な彼は同じVツインOHCエンジンのドカテイ400のボアアップしたのを買って来たのです。

しょうがないから、ぶっちぎってやりました。そしたら今度は900を買ってきました。(笑

またまた、ぶっちぎってやったら『ハーレーって乗る人が乗ると、早いんだな・・ゆっくり乗っても面白いし・・』 と彼は言ってくれました。

その足で私の通っているハーレーの正規販売店に連れて行き、彼に内緒で勝手にドカの下取りの値段、値引きも決めておいた見積もりを

見せたら 『ほんとに、こんなに高く下取りしてくれるの??』 『値引きも、こんなに・・・』 と喜んで契約書にサインです。


 その正規販売店のチャプター(ハーレーオーナーズクラブ)のデレクター(代表)を任され、役員構成を一任されていた私は、

彼をロードキャプテンに推薦しました。

ロードキャプテンとは、ツーリングの企画をしたり先導をしたりと、走る時の最高責任者です。

彼は快く役を引き受けてくれて、第一回チャプターツーリングには納車待ちで参加出来なかったものの

第二回目から体調を崩すまでの約二年間、素晴らしい活動をしてくれました。

その間、以前からのバイククラブ仲間のウスイ君にアシスタントデレクター(副代表)の役を、

そして秋田さんにも申し訳なくも副代表の役を快く引き受けて頂き現在に至ります。


 ハーレーオーナズクラブ活動を通して、私達は大勢のバイク乗りと知り合いになり、多くの信頼し合える仲間も得ることが出来ました。

彼と私にウスイ君の三人は月一の定例ツーリングだけでなく毎週のように走りました。

そして、ウスイ君の憧れていた岩城○一のクラブのように少数精鋭で

全員、高級な黒の皮ジャン、皮パン、チャップスに揃いのジェットヘル、

そして寒い季節には黒のノースフェースのダウンを。

時間をかけてでも良い物を一つ一つ揃えていこうとなりました。

そこに、アキタさんが加わり、また彼がパイプ役となり、また一人と波紋のように拡がってていったのです。

 現在のHARLEY DAVIDSON BIKERS ASPHALT COWBOY の原点は此処にあり、

彼が居なくては有り得ないものだと、私は確信しております。


 それから彼はハーレーに縁し念願の恋愛も仕事もして社会復帰を果たしましたが

自分の判断で薬の量を減らし、体調を崩してしまい、手や体が勝手に動き出すようになりバイクに乗ることが出来なくなりました。

バイクに乗れなくなる事は、彼にとって一番辛いことでしょう。


 そんな時に医者から 『貴方の今の症状を治す薬は、ありません。勝手に薬の量をへらしたりしたから罰が当たったんだ』 と言われ

絶望し、後日家族が出かけるのを見計らって自ら命を絶ちました。


 家族から亡くなった知らせがあった時には、言葉もでませんでした


 医者なら・・もっと彼を励ます言葉もあっただろうに・・・

 私の父親は動かしたくても半身、手も足も動かない・・・

 ご飯を食べても口からボロボロとコボレて話す言葉もままならず、

 下の世話もしてもらわなければ垂れ流し・・・

 メールが来た時、飛んで行ってれば・・・と、悔やまれます。


告別式に彼の遺言どうりに

『火葬が始まったらエンジンをかけて下さい』

『最後の別れの言葉は、ハーレーの音色でお別れしましょう』


その通りに、天まで届けとばかりに、エンジンが悲鳴を上げるまでアクセルを回し

最後にアイドリングが奏でる心地よい音で終わりました。

それは、涙は出ない、出る余裕無い突然の友との別れでした。

Yoshihiro 、君は何を思い、そこまで何を考えていたんだよ・・・


 あれから一年・・・


君が何時も傍にいた時にはあたりまえのようで

とくに感じることも無かったがけど

いなくなって初めて君の偉大さを知ることが出来たよ。

心から 『ありがとう』 と伝えたい

君は本当にスゴイやつ

病と闘いながらもバイクに乗り続け

人と人とを結び付け

人に喜びを与えてくれていたスゴイやつ

こんなスゴイやつが我らMCにいた事を忘れないで欲しい

 MC HARLEY DAVIDSON BIKERS ASPHALT COWBOY 設立の土台を創った男がそこにいたことを

『君の名は バイクの乗り ASPHALT COWBOY NO.1 Yoshihiro iida 』


私がバイクで出かける時には、今でも君が隣りで笑いながら一緒に走っている。

アキタさんも、そうだろう

ウスイ君も、ともちゃんも、そうだろう


後日、家族の願いも有り

彼の乗っていたハーレーは、彼の専属メカニックであり、カスタムアドバイザーだった、私の息子が乗ることになる。

彼の意志を継ぎ、彼の愛用のシンプソンのヘルメットをかぶり

サンダーヘッターの音色を響かせて絆深き仲間達と走っている。

あの時の、あの音色のままに・・・


『今でも貴方のバイクは進化をし新車のようにピカピカです』

『そして仲間達と一緒に走ってます』

『貴方を慕っていた若者達が意志を継ぎ、大切な絆をさらに深めています』

『心から、ありがとう』

2004/02/23 by JACK







☆ 絆 ☆   tomo 2004/02/20


仲の良いもの同士が集まってMCをつくった。

御大が、『ASPHALT COWBOYメンバー心得』を謳った。

そして、皆の熱い思いを形に残したくて『一生もん』の『VEST』を作った。


各々が自覚を持って活動しなければ、何年たってもMCの真似事に過ぎない。

『ASPHALT COWBOY』は、MCとして堂々と名乗れる
クラブの中の一つになりつつあると私は思う。


人と人とが出会い、付き合う上で『互いの絆』『仲間の絆』は大切だと思う。

絆を作るのは難しい。絆を作る・また深める為のコミュニケーションが必要だ。


男とか女とか、年下とか年上とか、区別はしても差別の無い 

付き合いをしてくれる仲間が私は大好きだ。

得るもの学ぶものが大きいクラブは、自分自身を成長させてくれる。

これからも、そんな付き合いが出来る素敵な関係や出会いを大切にしていきたい。

H16・2・20
ASPHALT COWBOY tomo




◆バイクに乗って35年、満50歳を迎えての独り言◆ JACK 2004/02/19 

40代後半にてパソコンを習い使い初めて去年の暮れにMC ASPHALT COWBOYのホームページを

友人tu-ちゃんの指導の下で何とか無事に立ち上げた。

tu-ちゃんは私が20代の頃から通っている地元では有名なバイク屋の息子であり

このバイク屋のオヤジさんとは若き日にはツーリングクラブで一緒に走り、すでに30年の付き合いになる。

この店で買った33台目のマシーンが現在の愛機、パールホワイトのファットボーイである。

今では私の息子がこのバイク屋さんに通いtu-ちゃんと仲良く遊んでいる。

長女も高校時代から400のアメリカンに乗り、卒業した時から、この店で雇ってもらい今でも仕事をさせて頂いている。

その娘から50の誕生日に御祝のメールが届いた



『いつまでも、不良の父でいて下さい』

『そしてお体を大切に』



世間の父達とは別の道を選び波乱万丈なる人生である

私は「世間に、どう見られるかより

自分が世間をどう見るかの方を選んだ



バイクに乗り続けてやがて、ハーレーというバイクを手にしてからは

ますます世間の父達とは違う日々が不良に見えるのであろう

でも誰よりも幸せな時間を過ごすことが出来て心から感謝している。


昨年の今頃、一人の友を亡くしたが

今日も何事も無かったように太陽は昇り

世間は慌しく動き出す


日差しがまし部屋が暖まった頃に起き出し

黒いシルクのパジャマを脱ぎ裸になる

カーテンを開けて全身に太陽の日差しを感じる

まずは、熱いシャワーを浴びて整髪

肩まで伸びた髪を後に束ね、

真っ白いバスローブを羽織り

コーヒーを入れる


12:00頃の朝食は、ほとんどベーコン5枚、卵2個のハムエッグに納豆

ご飯は軽く碗に1杯

最後にアメリカンコーヒーを飲む


お気に入りのジーンズに脚を通し、いつものデアスキンのシャッツに着替えて

娘の勤めるバイク屋さんの3時のティータイムに合わせて、いざ出動

娘にアメリカンコーヒーを出してもらいバイク談義

最近、大型二輪の免許を取ったらしい

何を乗り出すかが楽しみだ


3:30が仕事始め、ビデオレンタル店のシャッターを開け

自慢のハーレーを外に出し一研き

それからパソコンの前に座り、閉店の11:30まで仕事に専念したいのだが

誰かしか仲間がバイクを乗り着けバイク談議に明け暮れ

深夜にホームページの更新やバイクの整備をする。


そして日曜日、多くの絆深き仲間と走る楽しい毎日が続いている。


tu-ちゃんに友達のパソコン屋さんCubuさんを紹介してもらい仕事用とバイク用と二台のパソコンを特注で作って頂いた。

不思議な縁である、このCubeさんもバイク乗り、素晴らしい経験の持ち主であり大学時代に歴史を学んだらしく

私の質問にはパソコンのことはもちろん、それ以外の人間関係や組織のことなど何でも答えてくれる、まるで私の軍師のようである(笑

私の周りで何か大変なことが起きる時には必ずそばにいて話を聞いていて第三者だからこその感想や励ましの言葉を頂いた。


この軍師のアドバイスで昨年は二つのことを学んだ

一つは「パソコンにも容量があるように人間にもキャパシティがある」わかりやすい言葉である。

日本語で言えば「その人の器(うつわ)器量(きりょう)であり、どんなに、その人を思い愛情なりを沢山注いでも器から毀れてしまうと云うこと。

もう一つは「見かけが若い人は中身も若い」と云う事である。今までは「若いね」などと言われて単純に喜んでいた自分であった

要は中身が若いと云う事は幼いと云う事であり「気持ちが若い」と言われる自分で在りたいと思う。


インターネットの世界に一歩ふみいれたとたんに世の中が狭く感じる。

その場にいながら世界中の新しい情報や今まで知りえないことまで見えて来る。

見えてしまえば、知ってしまって、時には嫌な思いをすることもある

パソコンなどという物が無ければ無くて、知らなくてすむこともあろうが、何時かは解ることであり、分からなければいけないことである。


そんなことよりも素晴らしいことが有る。

ネットで連絡を取り合いお互いの情報をやり取りをしていた人達と実際に会った時に

実に話が早く交流が深まり、また広がっていく

バイクを通して出会ったシュンという名の良い男が

尊敬し、一緒に走っている男のことを語ってくれた。男が男に惚れるのも良いものである。

そして、その男の取り巻きや、その男の率いるMCの素晴らしさを

嬉しそうに目を輝かせて自分の目標だとも言っていた。

その男の名はKAMI、MCの名はD-RUSH


早速、その晩パソコンの前に座り、シュンさんの言っていたMCのホームページを覗いて観たら

不思議なことに以前に覗いたことが有り、気になっているMCの一つであった。

その時には、あか抜けしたセンスの良いHPで有り、ベストに縫い付けた揃いのワッペンのデザインにインパクトが有り

カッコイイMCだなと素直に思い、時々覗いていた。

シュンと云う男が惚れる男のこと、憧れるMCのことをもっと詳しく知りたくて端から端までページを開いて文章も全て読んでみると

そのMCは私が本来理想とする運営のしかたであり、本来のリーダーの振る舞いである

ここまで来るには、さぞかし紆余曲折もあったのであろうと思う


そのKAMIという男は、こんなことを言っていた


『カッコいいっていうのは自分のする事に自信と責任を持つ事.

そして、周りを見渡せる余裕を持てる事・・・。』

我ながらなかなか名言だと思っているこの言葉・・・。

カッコいいって結構、難しい。

40才になってもまだまだだ。



確かに名言だ、『周りを見渡せる余裕を持てる事・・・。』カッコいいの究極だ


私が20代後半の頃、「クシダ君、どっぷり浸かるのも良いが、流れが、どっちの方を向いているのか

自分だけは頭を出して本流を確かめながら進むことが大切だよ」との尊敬する先輩の一言を思い出す



また彼はこうも言う

『あなたの為に何が出来るかは分からないけれど俺がここにいる事を忘れないで欲しい。』

『楽しく笑っていられる【時】を共に過ごそう!』

『悲しく辛い【時】を分け合おう!』

「ありがとう、そしてこれからもヨロシク・・・。』


まさに詩人であり哲学者と言っても過言ではない

バイクを通して出会った多くの仲間達に囲まれ本音で語り本気で付き合い

我武者羅に生きている、素晴らしい、こんな40代の男に早く会ってみたいと思う

全国で開かれているバイカーズ・ミーティングに参加して、カッコいい男に出会う旅も良いものだ


今、MC ASPHALT COWBOYにも『自分のする事に自信と責任を持つ』カッコいい男達がいる

そして周りを見渡せる余裕を持てる者もいる

また私の周りにも、何処のMCに属さずカラーも背負ってはないが、私達と一緒に走る時に

『周りを見渡せる余裕を持ち気配りの出来る』カッコいい男がいる

もし、そいつが何処かのMCに属したならば、そこの中間達は必ずや成長し、素晴らしいMCに発展することだろう。


「良き友ありて人生の醍醐味なり」

「我が名はバイク乗り!ASPHALT COWBOY」

「50回目の春が来る」


50にして、「御大」とは呼ばれるが、まだまだの男の独り言

2004/02/19 By JACK





◆ MC ◆ tomo  2003/10/28

仲のよいもの同士が集まってMCを作った。もうすぐVESTが出来上がる。 

VESTが有ろうと無かろうと、MCをクラブ組織として発展させるには

 各々が自覚を持って活動しなくては何年経ってもMCの真似事に過ぎないと思う。


『ASPHALT COWBOY』はMCとして堂々と名乗れるクラブの中の1つに

なりつつあると私は思う。MCに必要なものとして仲間の絆があると思う。

新規メンバーなどすぐに絆を作るのは難しい。絆を作る、また深めるための

コミュニケーションが必要だ。

得る物、学ぶ物が大きいクラブは人間ひとりひとりを成長させていくと思った。


H15・10・28
ASPHALT COWBOY tomo




◆ HAPLEY DAVIDSON BIKERS ASHALT COWBOY ◆ tomo 2003/02/22

ASPHALT COWBOY を名乗る上で、言葉の組み合わせだけで考えれば 

「ASPHALT COWBOY」 も単なる単語の集まりに過ぎませんが、

御大は、この言葉の持つ意味を  BIKER・・・・バイク乗りと捉えました。   

長年のバイク人生の中で、出会った多くの仲間達と、同じ想いを持つ者達が、

様々な組織の枠を超え、連絡を取り合い、友好関係を深め、

楽しく走る為に、ASPHALT COWBOY の名のもとに!MC CLUB を。


そんな熱い思いが私達の 

「 HARLEY DAVIDSON BIKERS ASPHALT COWBOY 」 なのです。


これからも、喜びも悲しみも、共に心に刻める

素晴らしいクラブにしていきましょう。


ontaiの理念に賛同し、一緒に走り続けることで、

私のバイク人生、ますます楽しくなりそうです(^^)/

ASPHALT COWBOY:HP 立ち上げの一番大切なこの時に

同列出来た事に喜びを感じ、

感謝します。


H15・02・22
ASPHALT COWBOY tomo






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